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徳川家光
(
とくがわいえみつ
)
は
祖父
(
そふ
)
家康
(
いえやす
)
の21
回忌
(
かいき
)
を
迎
(
むか
)
えるにあたり、
東照宮
(
とうしょうぐう
)
の
全面的
(
ぜんめんてき
)
なつくりかえを
命
(
めい
)
じました。
寛永
(
かんえい
)
11年(1634年)11月から始めて、寛永13年(1636年)4月には
奥社
(
おくしゃ
)
をのぞく現在の東照宮の大部分が完成しました。そして、寛永13年(1636年)4月8日に
上棟式
(
じょうとうしき
)
が行われ、寛永13年(1636年)4月17日に家康の21
回忌
(
かいき
)
の
祭礼
(
さいれい
)
が行われたのです。これほどの
建築
(
けんちく
)
が
工期
(
こうき
)
わずか1年5ヶ月で完成したことは
驚
(
おどろ
)
くべきことといえるでしょう。その
指揮
(
しき
)
をとった
甲良
(
こうら
)
宗広
(
むねひろ
)
がいかにすぐれた
棟梁
(
とうりょう
)
であったかがうかがわれます。
この写真は、寛永13年(1636年)4月8日の東照宮
本殿
(
ほんでん
)
の上棟式に使われた
手斧
(
ちょうな
)
・
墨壷
(
すみつぼ
)
・
曲尺
(
かねじゃく
)
・
墨
(
すみ
)
さしの4点をおさめた
大工
(
だいく
)
道具
(
どうぐ
)
箱
(
ばこ
)
で、宗広が東照宮に
奉納
(
ほうのう
)
したものです。日光東照宮のつくりかえという
大事業
(
だいじぎょう
)
をなしとげて、宗広は
将軍
(
しょうぐん
)
から
太刀
(
たち
)
や馬をいただき、棟梁としては誰もいただいたことのない高い
位
(
くらい
)
を許されています。