慈覚大師 円仁|八王子千人同心


慈覚大師 円仁
「円仁」ってどんな人?
円仁
「円仁」
 慈覚大師円仁は今から約1200年前、平安(へいあん)(きょう)が建てられた794年に生まれました。
(円仁の生まれた場所については岩舟町(いわふねまち)上耕地(かみこうち)、岩舟町手洗(たらい)(くぼ)壬生町(みぶまち)壬生寺などの説があります。)
 21歳で、(そう)になるための(むずか)しい国家試験に合格して、その後は自分の育った大慈寺(だいじじ)へ行き、 寺を大きくするために、宝塔院(ほうとういん)を建て、法華経(ほけきょう)というありがたいお経を(おさ)めました。 (とう)(今の中国(ちゅうごく))に行ってたくさん修行(しゅぎょう)や研究をして日本に帰って、それから全国をまわり天台宗(てんだいしゅう)を広めました。円仁が開山したり再興(さいこう)したりしたと伝わる寺は関東(かんとう)地方に209寺、東北(とうほく)地方に331寺ほどあります。
日光とはどんな関係があるの?
輪王寺三仏堂
「輪王寺三仏堂」
←  (しょう)(どう)上人(しょうにん)(勝道上人のページを見てみよう)が開いた日光山が、円仁の力によって比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)と結びつき、宗派が天台宗となりました。
三猿
 また、円仁は満願寺(まんがんじ)(のちの(りん)王寺(のうじ))に千手観音(せんじゅかんのん)阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)馬頭(ばとう)観音(かんのん)安置(あんち)しました。これが現在の(さん)仏堂(ぶつどう)です。(輪王寺のコーナーを見てみよう) →
三仏様
「三仏様」
ほかには?
日枝(ひえ)神社(じんじゃ)()てました。
← 日光市野口の日枝(ひえ)神社(じんじゃ)記念(きねん)()には、
山王(さんのう)権現(ごんげん)を栃木県の神様としてお(まつ)りするため、→848年に慈覚大師円仁が建てました。」と書かれています。
← 「日枝神社」 新造記念之(しんぞうきねんの)()」→
 円仁は72(さい)でこの世を()りました。その2年後、朝廷(ちょうてい)は円仁の功績(こうせき)をたたえ、「慈覚大師」というおくり名を与えました。円仁は、日本で初めて「大師」の名をもらった人物です。