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天海大僧正
(
てんかいだいそうじょう
)
は、
家康公
(
いえやすこう
)
、
秀忠公
(
ひでただこう
)
、
家光公
(
いえみつこう
)
の三代の
将軍
(
しょうぐん
)
から深く
尊敬
(
そんけい
)
されました。家康公の
信頼
(
しんらい
)
を
得
(
え
)
て、1613年(
慶長
(
けいちょう
)
18年)日光山の
本坊
(
ほんぼう
)
として
光明院
(
こうみょういん
)
を
再興
(
さいこう
)
し、日光山第53代の
貫主
(
かんす
)
(
光明院主
(
こうみょういんしゅ
)
)となりました。家光公は、家康公に
代
(
か
)
わる
存在
(
そんざい
)
として尊敬していました。
1636年(
寛永
(
かんえい
)
13年)家光公の
命令
(
めいれい
)
で、
東照大権現社
(
とうしょうだいごんげんしゃ
)
の
造
(
つく
)
り
替
(
か
)
えを
完成
(
かんせい
)
させました。