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家光公は二代
将軍秀忠公
(
しょうぐんひでただこう
)
の
二男
(
じなん
)
として生まれました。 (
長男
(
ちょうなん
)
の
長丸
(
ながまる
)
は、2
歳
(
さい
)
で
亡
(
な
)
くなっています。)
秀忠公は二男の
竹千代
(
たけちよ
)
(家光公の
幼名
(
ようめい
)
)より、
三男
(
さんなん
)
の
国千代
(
くにちよ
)
(のちの
忠長
(
ただなが
)
)をかわいがったといいます。しかし、竹千代こそ将軍にふさわしいと考えた家康公は、竹千代の
乳母
(
めのと
)
であったお
福
(
ふく
)
(のちの
春日局
(
かすがのつぼね
)
)からの
訴
(
うった
)
えもあり、 家光公を将軍
後継者
(
こうけいしゃ
)
に指名したといいます。