「日光山輪王寺」の始まり日光山輪王寺年表


日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)

☆「日光山輪王寺」の始まり☆
奈良時代の末(766年)勝道上人(しょうどうしょうにん)によって日光山は開かれました。
 勝道上人とその弟子(でし)たち一行(いっこう)はやっと大谷川の激流にたどり着き,ここで深沙大王(じんじゃだいおう)の助けで山菅(やますげ)蛇橋(じゃばし)神橋(しんきょう))を渡り,「四本龍寺(しほんりゅうじ)」というお寺を建てたといわれています。これが「日光山輪王寺」の始まりです。


☆日光市と「日光山輪王寺」の位置☆


「日光山輪王寺」は寺の総称(そうしょう)です。
お寺やお堂など左の黄色い部分の全体を指して輪王寺といいます。


☆日光山と神仏分離(しんぶつぶんり)
 明治時代,輪王寺・二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)東照宮(とうしょうぐう)と三つの場所に分けられる前,これらはひとつにまとまって「日光山」と呼ばれる関東の一大霊場(いちだいれいじょう)でした。
 明治元年(1868年),明治政府から「神仏分離令(しんぶつぶんりれい)」という神と仏を分ける命令が出されます。神と仏の区別がなかった「日光山輪王寺」は窮地(きゅうち)に立たされます。日光山では明治4年〜13年にかけて実施されました。 いくつかの建物が今の輪王寺・二荒山神社の場所に移ったのはこの時です。 二荒山神社境内(けいだい)にあった三仏堂(さんぶつどう)もこの時今の場所に移りました