日光の社寺(しゃじ)にゆかりのある主な人々
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時代(じだい) 人物(じんぶつ) (おも)業績(ぎょうせき)
奈良(なら)時代 勝道上人(しょうどうしょうにん) 日光山(にっこうさん)(ひら)く。
平安(へいあん)時代 空海(くうかい)
弘法大師こうぼうたいし
生岡神社(いきおかじんじゃ)滝尾神社(たきのおじんじゃ)清滝神社(きよたきじんじゃ)などを()てたと(つた)えられる。
円仁えんにん
慈覚大師じかくたいし
野口(のぐち)日枝神社(ひえじんじゃ)をまつり,阿弥陀如来(あみだにょらい)千手観音(せんじゅかんのん)馬頭観音(ばとうかんのん)安置(あんち)
三仏堂さんぶつどうはじまり)
教旻きょうびん 勝道上人(しょうどうしょうにん)()(あと)日光山座主(にっこうさんざす)()く。
隆宣りゅうせん 常陸(ひたち)武将(ぶしょう)() 次期(じき)座主(ざす)()(あらそ)い,日光山(にっこうさん)荒廃(こうはい)させる。
治承元年(1177年)
禅雲ぜんうん 那須氏(なすし)一族(いちぞく)
鎌倉かまくら時代 弁覚べんかく 日光山(にっこうさん)中興(ちゅうこう)(そ。)
戦国せんごく時代 道興どうこう 京都(きょうと)聖護院(しょうごいん)門跡(もんぜき)歌人(かじん)文明(ぶんめい)18年(1486)日光来訪(にっこうらいほう)
宗長そうちょう 歌人(かじん)連歌師(れんがし))。永正(えいしょう)6年(1509)日光来訪(にっこうらいほう)
昌源しょうげん 日光山(にっこうさん)44(せい)貫首(かんす)昌源杉(しょうげんすぎ)太郎杉(たろうすぎ)(ふく)む)を()える。
昌淳しょうじゅん 豊臣秀吉(とよとみひでよし)小田原(おだわら)()めの(さい)に,北条氏(ほうじょうし)味方(みかた)したため,広大(こうだい)所領(しょりょう)没収(ぼっしゅう)される。
日光山(にっこうさん)荒廃(こうはい)
江戸えど時代    徳川家康とくがわいえやす 江戸幕府(えどばくふ)(ひら)く。
東照宮祭神(とうしょうぐうさいじん)東照大権現(とうしょうだいごんげん)
天海大僧正てんかいだいそうじょう
慈眼大師じげんたいし
家康(いえやす)(れい)久能山(くのうさん)から日光山(にっこうさん)(うつ)す。(東照宮(とうしょうぐう)(はじ)まり)
徳川家光とくがわいえみつ 東照社(とうしょうしゃ)(つく)()える。
甲良宗広こうらむねひろ 作事方大棟梁(さくじがただいとうりょう)
かじ 定良さだよし 日光常番(にっこうじょうばん)社寺(しゃじ)監察役(かんさつやく))の(やく)につく。
八王子千人同心はちおうじせんにんどうしん 「日光(にっこう)()(ばん)」−50(にん)一組(ひとくみ),50(にち)交代(こうたい)(のち半年交代(はんとしこうたい))。
元武田家家臣(もとたけだけかしん)
松尾芭蕉まつおばしょう 元禄(げんろく)2年(1689)日光来訪(にっこうらいほう)。『(おく)細道(ほそみち)』を(あらわ)す。
蓼太りょうた 俳人(はいじん)宝暦(ほうれき)13年(1763)日光来訪(にっこうらいほう)
植田うえだ孟縉もうしん ・「八王寺千人同心(はちおうじせんにんどうしん)」の一人(ひとり)
天保(てんぽう)8年(1837)『日光山志(にっこうさんし)』を(あらわ)す。
天祐てんゆう 元禄(げんろく)4年(1691)『日光山(にっこうさん)満願寺(まんがんじ)勝成就院(しょうじょうじゅいん)堂社(どうしゃ)建立記(こんりゅうき)』を(あらわ)す。
二宮尊徳にのみやそんとく ・「 ()村用水(そんようすい)二宮堀(にのみやぼり))」を(ひら)く。
大鳥圭介おおとりけいすけ 旧幕軍(きゅうばくぐん) 戊辰戦争(ぼしんせんそう)戦禍(せんか)から日光山(にっこうさん)(まも)る。
板垣退助いたがきたいすけ 官軍(かんぐん)
道純どうじゅん   
慈立じりゅう   
明治めいじ時代 落合源七おちあいげんしち 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)による堂社(どうしゃ)破壊(はかい)移転(いてん)反対(はんたい)する運動(うんどう)()こす。
巴快寛ともえかいかん
松平容保まつだいらかたもり ・「保晃会(ほこうかい)」の会長(かいちょう)として,東照宮(とうしょうぐう)などの修理(しゅうり)(おこな)う。

勝道上人(輪王寺蔵)

天海大僧正(輪王寺蔵)