その中のひとつ「舜帝朝見の儀」の彫刻は,正月元日に,舜帝がたくさんの役人達から新年のあいさつを受けている場面を表したものです。
舜帝は堯帝の没後,禅譲(真に能力のあるものに政権を譲ること)によって政権についた人物です。中国では,堯帝,舜帝の二代が最もよく国が治まった理想の時代といわれています。彫刻の舜帝の顔をよく見てください。家康公と似ていませんか。これは,下絵を描いた絵師が舜帝と家康公を似せて描いたと思われます。そこからこの彫刻は,家康公こそが舜帝に比すべき帝王であり,徳川幕府が目指すべき政権は舜帝の治世である,との考えを表しているものと解釈できます。
現在の平成の年号はこの舜帝が残した「内平外成」の言葉からとったものです。内平外成とは「内平らかに外成る」といって,舜帝が優秀な人材を登用して政治に力を入れた結果,国がよく治まったことを言います。 |