陽 明 門(ようめいもん)

陽明門(ようめいもん)彫刻()ちょうこく

五 重 塔(ごじゅうのとう)

 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は,元和(げんな)3年(1617年)に,徳川家康公(とくがわいえやすこう)(かみ)として(まつ)ったことに(はじ)まります。
 元和2年(1616年)4月17日,徳川家康公は駿府城(すんぷじょう)静岡県(しずおかけん)静岡市(しずおかし))において,75(さい)()くなり,久能山(くのうざん)(ほうむ)られました。家康公は「遺体(いたい)は久能山におさめ,一周忌(いっしゅうき)()ぎたならば,日光に小さなお(どう)()てて祀りなさい。そうすれば,(わたし)が日本の国の(まも)(かみ)になりましょう。」と遺言(ゆいごん)をしました。
 二代将軍(にだいしょうぐん)徳川秀忠公(とくがわひでただこう)は遺言に(したが)い,その準備(じゅんび)(すす)めました。翌年(よくとし)(1617年)の2月に,朝廷(ちょうてい)から東照大権現(とうしょうだいごんげん)神号(しんごう)(さず)けられました。3月には,(おも)社殿(しゃでん)完成(かんせい)し,久能山から(ひつぎ)(うつ)し,4月17日に東照大権現を祀る東照社(とうしょうしゃ)(つく)られました。
 その(のち)徳川三代将軍家光公(とくがわさんだいしょうぐんいえみつこう)は,寛永(かんえい)11年〜13年(1634〜1636年)にかけて,社殿のほとんどを造り()えました。正保(しょうほ)2年(1645年)に朝廷から宮号(ぐうごう)(あた)えられ,以後(いご)東照宮(とうしょうぐう)()ぶようになりました。
 そして,江戸時代(えどじだい)(つう)じて,(おも)修理事業(しゅうりじぎょう)だけでも20数回(すうかい)(おこな)われました。こうした,幕府(ばくふ)保護政策(ほごせいさく)により,日光東照宮は,豪華(ごうか)できらびやかな社殿を今に伝えているのです。