『大猷院のはじまり』大猷院の施設家光廟大猷院配置図大猷院Q&Aその1大猷院Q&Aその2

階段をのぼり、門をくぐっていくと途中にたくさんの灯籠とうろうがあるのがわかるよね。この灯籠いったいいくつぐらいあるんだろう。また、何でこんなにたくさんあるんだろう。
ではこの灯籠をよくみてみよう。何か文字がかいてあるよね。この文字は灯籠をおくおくった人の名前なんだ。ではどんな人が灯籠を贈ったのか調べてみよう。
一番奥までついたかな。でも入れないよね。実はこの奥が大猷院で一番大切なところ。ある人のお墓なんだ。下の写真の右側の人なんだけど・・・みんな名前をおぼえてるかな。


(「東照大権現とうしょうだいごんげん・大猷院・慈眼大師版絵じげんだいしばんえ」輪王寺所蔵しょぞう
おじいさんの一口メモ
 上の写真じゃが。左が天海大僧正てんかいだいそうじょう、中央が徳川家康公とくがわいえやすこう、右が徳川家光公とくがわいえみつこうとなっておる。この三人の人物がどんな人物か、どんな関係があるか他のページで調べてみると、なぜ大猷院がここにできたのかわかるのじゃ。さっそく調べてみんかね。

ではこの大猷院がいつ頃できたのか年表に書いてみたから見てね。日本や世界でどんなことが起こっていたか思い出してみるとおもしろいよ。
1651 慶安けいあん4年 3代将軍家光逝去せいきょ。日光山内大黒山に大猷院びょう建設開始
1653 承応じょうおう2年 大猷院廟完成。入仏にゅうぶつ。家光の3回忌。梶左兵衛督、日光山守護となる。5日間の殺生禁断せっしょうきんだん罪人ざいにんゆるす命令。
1655 明暦めいれき3年 朝鮮使節ちょうせんしせつ大猷院廟参詣さんけい
1683 天和てんな3年 大猷院廟の宝塔供養ほうとうくよう
1690 元禄げんろく3年 大猷院廟の大修繕だいしゅうぜん、大猷院廟奥院正遷座せんざ
1750 寛延かんえん3年 大猷院殿(家光)の100回忌法会かいきほうえ
1800 寛政かんせい12年 大猷院殿150回忌法会
1850 嘉永かえい3年 大猷院殿200忌回法会
1999 平成11年 世界遺産登録せかいいさんとうろく
2000 平成12年 大猷院殿250忌回法会。奥の院の公開

大猷院にはいろんな建物があります。またあとで説明するから今もっている疑問ぎもんを大切にとっておいてね。