「日光山輪王寺」の始まり日光山輪王寺年表

☆日光山輪王寺年表☆
主 な で き ご と 寺の名前 信仰
766 ・勝道上人が「四本龍寺」(本宮神社)を建てた








・仏教の修業をするために集まった人々でこの寺は栄えた
810 ・寺の名前が「満願寺(まんがんじ)」になった

空海(くうかい)円仁(えんにん)の来山伝説とともに建て物が増えていった
848 ・三仏堂・常行堂(じょうぎょうどう)法華堂(ほっけどう)ができた
1177 座主(ざす)の座をめぐる争いがおき,日光山が荒れ果てた
1186 頼朝(よりとも)が常行堂に御供田を寄進(きしん)した
1210 実朝(さねとも)寄進の三重塔(さんじゅうのとう)など山内の堂塔の多くが再建された
1240
弁覚法印(べんかくほういん)光明院(こうみょういん)を建てた

・三山(男体山・女峰山・太郎山),三仏(千手観音(せんじゅかんのん)阿弥陀如来(あみだにょらい)馬頭観音(ばとうかんのん) ),三社(新宮(しんぐう)滝尾(たきのお)本宮(ほんぐう))が同一体であるという形が整った
・この頃山岳修行(さんがくしゅぎょう)修験道(しゅげんどう)山伏(やまぶし))が盛んになった
1476
昌源(しょうげん)座禅院権別当(ざぜんいんごんべっとう)となり,松や杉数万本を植えた

所領(しょりょう)が十八万石になり,院や坊の建物が五百坊もあったといわれる
1590 豊臣秀吉(とよとみひでよし)に領地を取り上げられる
1613 天海(てんかい)が「日光山」の住職(じゅうしょく)となり再び栄えるようになった
1644 慈眼堂(じげんどう)が建てられた
1653 大猷院(たいゆういん)が建てられた
1655 ・寺の名前が「輪王寺」になった

1871
・神仏分離により,輪王寺(満願寺)・二荒山神社・東照宮の三つの場所に分けられた





1881 ・三仏堂が現在の場所に移った
1999 ・世界遺産に登録された

強飯式(ごうはんしき)☆4月2日〜三仏堂〜

 山伏(やまぶし)が三升入りの大碗(おおわん)を持って「七十五杯一粒も残さず食べろ」と責めます。この「日光責(にっこうぜめ)」をうけると災厄(さいやく)(はら)え,運が開けるといわれます。
 昔,山の中を歩いて修業(しゅぎょう)をしていた時,修験者(しゅげんじゃ)が宿泊していたところにお(そな)えしたものを持ち帰って人々に分かち与えたのが強飯式の始まりです。