二荒ふたらさん神社じんじゃ建築けんちく
御本社ごほんしゃ・・・ ぜん元和げんな5年(1619年)徳川とくがわ二代将軍しょうぐん秀忠ひでただこうにより建てられました。八棟造やつむねづくりという特殊とくしゅ建築けんちく様式ようしきで日光の社寺の中でも最も古い建造物けんぞうぶつの一つです。優雅ゆうが彫刻ちょうこく文様もんようなど安土あづち桃山ももやま様式ようしきの残る建築けんちく建築史けんちくしてき価値かちが高いと言われています。
八棟造り
八棟造り
複雑ふくざつに屋根を組み合わせた豪華ごうかな造りをしています。
彩色文様
彩色文様
本殿の柱の上部には美しい文様がほどこされています。
蟇股
蟇股
下が開いてかえるまたのような形をして、上部の重みを支えています。
丸彫・籠彫
丸彫・籠彫
両面から見られる立体的な彫刻に、極彩色ごくさいしきといわれる色彩で彩色されています。
拝殿はいでん・・・ ぜん正保しょうほう2年(1645年)に建てられたのではないかと言われています。和様わようを基本とした建築様式で、以前はすぐとなりにあったりんのうさん仏堂ぶつどう様式ようしきが似ている点があります。本殿とちがい彩色文様も彫刻ちょうこくもなく単純たんじゅんだが力強い印象の建造物けんぞうぶつです。
本宮ほんぐう神社じんじゃ
 大谷川だいやがわ稲荷いなりがわ合流ごうりゅうする丘の上にあります。日光山を開いたしょうどう上人しょうにんが、初めて大谷川を渡り二荒山(男体山なんたいさん)を遠くながめておがんだ場所で、二荒山神社始まりの地となっています。
 古くから 御本社ごほんしゃたきのお神社じんじゃと共に、「日光にっこう三社さんじゃ」として信仰しんこうを集めています。
 平安・だいどう三年(808年)に建てられ、味耜あじすき高彦根たかひこねのみことまつり、農業・漁業・交通安全の神とたたえられています。ほん殿でん拝殿はいでんとも、江戸・ていきょう元年がんねん(1684年)の大火で焼失しょうしつし、よく再建さいけんしたものです。現在、どちらも銅板瓦どうばんがわらの屋根ですが、当初は植物性のふき材であったと考えられています。
本殿 本殿ほんでん三間社さんげんしや流造ながれづくり。方柱ほうちゅう(四角い柱)のある向拝ごはい(ひさし)のまわりのみ、色鮮あざやかな極彩色ごくさいしきられていますが、その他は内外部とも弁柄べんがら うるしぬりで、柱も円柱えんちゅうとなっています。
拝殿 拝殿はいでん間口まぐち・奥行きとも三間(6.68メートル)で、屋根は 入母屋造いりもやづくり。のきの廻りは疎垂木まばらたるき(間かくが広いたるき)で、柱はすべて方柱です。内外部とも弁柄べんがら漆塗うるしぬりで、彩色さいしきはありません。