日光二荒山神社・日光山輪王寺(のはじまり
むかしから、高い山々(には神(が宿(っていると信(じられていました。
この考え方を『山岳崇拝(』といいます。それが、奈良時代(になると中国(から入ってきた仏教(と結(びつきました。そうして、それぞれの山には守(り神(としての神のほかに、さらに仏(もいて、人々を守るという考え方が生まれてきました。このような考え方を『神仏習合
(』といいます。日光が開 (けたのは、奈良時代(のおわりのころです。勝道上人(というお坊(さんが、男体山((そのころは「補陀洛山(」とよばれ、平安時代(には「二荒山(」と呼(ばれていました)には神様(や仏様(がいると信(じて登(ったのが、始(まりといわれています。
このとき上人(は大谷川(と稲荷川(の合流点(に山の神様をおがむ場所(を設(け、四本龍寺((のちの輪王寺()を建(て、のちに本宮神社(を建(てたといいます。また、男体山(のふもと中禅寺湖(のほとりに中宮(を、頂上(には奥宮(を建てました。
この後(、日光山(とよばれる関東(で一番の霊場((神仏(の宿(る山々()として、大勢(の修行僧(が修行に励(みました。そうして日光は、栄(えていきました。
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